kenny0808’s diary

小学校教員の日記。作文・読書教育。つくり手になる学びを探究する。

職員室から教室へ

今の感覚を忘れないうちに書いておこう。

 

起きている問題を、他人事ではなく自分も含めて考えること。

信頼は1つ1つの行動の積み重ねで成り立つこと。

変えられないものを受け入れ、

変えられることにフォーカスし、効果的な行動を重ねること。

 

スタートは教室ではなくて、職員室からであること。

職員室を大切にできない人は教室も大切にできない。

 

大人の世界も子どもの世界も、サイズがちがうだけで仕組みは同じ。

感情を持つ人間同士が交わり、行動を共にする場所。

 

職員室で起きることは教室でも起こる。

職員室で大切にしていることは教室でも大切にできる。

 

価値観の転換期。

この機を逃さず、新しいステージに一歩踏み出そう。

 

 

 

 

 

 

カンファランス①地の文について

 作家時間は文集づくりへ。完成した原稿から印刷を始めて、文集ファイルにストックしていく。全員分がたまったところで、全ての作品をファイルから抜き出し、表紙をつけて文集とする流れだ。冬休みに入るまでに完成させたいな。

 カンファランスやミニレッスンのバランスが少しずつとれるようになってきた。というのは、子どもたちのニーズや困り感をカンファランスや作家会議でくみ取り、ミニレッスンに活かす流れができてきたからだ。とある場所では、主人公のつくりかた、そのまたちがう所では情景描写について・・・など、子どもたち一人一人にレクチャーすることが異なる。それがとても楽しいし、もっと勉強しなくちゃって思う。そこで、その時々の作家の時間で起きた出来事を、echoではなく、授業記録としてブログに残しておこうと思う。これまでとこれからと、自分が実践してきたことをていねいに記録していきたい。

 

 物語文をつくる児童Aとの会話。Aは、ジュースや消しゴムを主人公にして、擬人法を用いたお話を書くことが得意だ。題名も「ジュースからの目線」「けしゴムからの目線」と、とてもユーモアのある感じで、読者が手に取りたくなるような工夫がされている。今日は地の文について、カンファランスとレクチャーを行った。Aの地の文は、読者に話しかけるような語り口調で書かれていた。しかし、その地の文が途中から~「した」「です」と敬体に変わっていて、せっかくの語り口調の調子が中途半端になってしまっていた。そこで、Aと「モチモチの木」「きみはしっている」の地の文を見ながら、地の文の書かれ方のちがいを確認することにした。

 

A:先生、修正お願いできますか?

私:OK!(作品を読む)

私:地の文の書き方がいいね。これはジュースがお話している感じ?

A:うん。ジュースが話している。

私:おうー。いいね。人間以外のものを人間のようにえがく方法だ。これ、擬人法っていう作家の技なんだよ。地の文の書き方が、読んでいる人が話かけられている感じで楽しく読めそう!あれ?ここからは、「~した」「です」みたいに、ていねいな調子に変わっているね。

A:あ、ほんとだ!

私:地の文ってさ、いろいろな書き方があるんだよ。国語の教科書を出してごらん。

A:(モチモチの木のページを開く)

私:モチモチの木の語り手ってどんな感じ?

A:なんか、ずっと豆太のことを知っている感じ。少しえらそう笑

私:なるほどなるほど。少しえらそうな感じがするかな笑 

  桃太郎なら「昔昔あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。」って感じの書き方で、話かけているというよりは説明している感じだよね。地の文にはね、いろいろな書き方があるんだよ。

A:あ、話しかけている感じなら、「きみはしっている」もそう?

私:そうそう!あの作品の地の文は、まさに読者に話かけている感じがするよね。Aさんの書いている地の文と同じだ。話かけている感じがすると、読む人も物語に入り込める。さて、作品の話にもどるけど、もう少しここの地の文を膨らまして書くといいなって思う。「ぼくは消しゴム」のあとに「君たちはボクの子と知っているよね?」とかさ。もっと話かける感じを出してもいいかも。あと、途中で「地の文」の調子が変わっているから、そこは整えた方がいいかな?

A:うーん・・・ちょっと書き方かえてみる!「きみはしっている」と同じ感じがいいかな。ありがとうございました!

作家の時間(1週目)

[作家の時間2日目〜4日目]

ミニレッスン

☑︎書きたいことリスト(2日目)

児童の書きたいことリストを共有。日常のささいなことが日記や物語、詩になる話。いくつか児童詩を紹介。

☑︎評価基準の共有(3日目)

•評価基準の共有。「評価のための書く」ではなく、何のための評価基準なのかが伝わるように価値のインストラクションを行った。

「作家さんはね、読者に向けて作品を書くんだよねー。相手が読んでて、楽しめたり、あー分かるわかるとなったりするためには、書いてあることがちゃんと伝わらないといけない。そのための大事なポイントがここに示されているんだよ」

こんな感じ。子どもたちは理解できたかな。くりかえし伝えていこう。

☑︎修正と校正のしかたについて(4日目)

校正リストの使い方を確認。「声に出して読む」からスタート。

 

グループカンファラン

☑︎めいろ本・4コマ・クイズグループ

 早くも、子どもたちが書きたいとなった迷路と4コマには黄色信号がともる。このままでは国語の評価ができない。そこで、物語の中にめいろを入れたり、慣用句の説明を4こまで表したりするモデルを紹介した。

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☑︎物語グループ

 場面設定のミニレッスン。時場所人物の設定を決めるお話。教科書のすいせんとらっぱ、ハリネズミと金貨を例に示した。たいようの穴はらや桃太郎の翻作表現を紹介すると、それをモデルにカラスのパン屋さんやまんじゅうこわいの翻作に取り組む子がでてきた。中には世界から猫が消えたならの翻作表現にチャレンジする子もいて驚いた。翻作の可能性を感じるとともに、やはり読むと書くは連動していると感じた。リーディングワークショップも二学期からスタートしたい。

 

カンファランスの反省

 質問をして聞き出すというより、提案が多くなってしまった。まずは子どもたちの作品の良いところを見つけ、質問を通して、子どもたちの中からアイデアを引き出すようにしないと。改めて、作家の時間を読むと、カンファランスの心構えとバリエーションがたくさん示されていた。初めて読んだ時よりも、ふに落ちるというか、よく理解できるようになっている。カンファランスのときの言葉に気をつけたい。

 

 

作家の時間と詩と翻作表現

『作家の時間』
 「書くことが好きになる」「自立した書き手を育てる」が第一の目的ではなく、自己選択・自己決定にもとづいた書くプロセスの積み重ねで子どもたちをケアしていけるのでないか。そんな思いから、作家の時間をスタートさせた。(昨日のことである。)
 3年前、はじめて作家の時間を始めた6年生の冬。やってみたいでチャレンジした実践は、書くことがおもいつかない子たちのサポートがままならず、途中でフェイドアウト。「書きたいことを書く」って思ってたより、というか実はすごい難しいことなんだ。大人もそう。いきなり書きたいことを書いていいよ。と言われて、みんながみんな書けるわけではない。はじめに子どもたちに見せた作品の中身も、ミニレッスンも中途半端。「書きたいことをまずは考えてみよう」というアプローチもないまま、「まずはやってみよう」という丸投げインストラクション。今思えば、あまりに準備不足だったなと思う。準備万端ってそうできないけど)でもやってみて分かることがあったのも事実。この出来事は、And On vol.5の「ぽい実践からのスタート~作家の時間の失敗」に詳しく書いた。

 ナンシー・アトウェルのインザミドルを読んでから、「詩」に興味を持つようになった。

短い言葉で構成される詩は、他のジャンルに比べ比較的短時間でくつくることができ、出版までのサイクルが回しやすい。作詩を通して、子どもたちが作品をつくりあげる小さな成功体験をつむプロセスを経てから、作家の時間(ジャンルを自由に選ぶ)に移行する流れがイメージできた。昨年は実験的に作詩から国語の時間をスタートさせた。

 参考にした本は、石毛拓郎さんの『詩をつくろう』学校図書館で偶然出会った一冊だ。この本には、自由詩を書くまでのステップが丁寧に記されており、自由詩にいたるまでのウォーミングアップとして様々な型はめ詩(アクロスティック、なぞなぞなど)が紹介されている。子どもたちが手にとって読んでもわかる内容で、子どもたちむけの詩の本といえる。(型はめ詩の取り組みについてもAnd Onに書いている)
 今年は分散登校からこれまでにわたり、詩の音読や視写に取り組んできた。参考にしているのは卯月啓子さんの詩のアンソロジーの実践。工藤直子さんやまどみちおさん、谷川俊太郎さんなど、一流の詩人たちの詩を背面黒板に書き、詩のノートに書き写してきた。ときには題名をあてたり、詩の一部を書き換えて翻作表現を楽しんだりした。特に「たいようのおなら」は、子どもたちが大変おもしろがり、「かなせんがわらった」「ひがおこった」「とんだ野球ボール」と次々の翻作表現の作品ができあがった。こんな感じで、これまでの一ヶ月は、朝の時間をつかって詩に触れ、それと並行して、国語科で説明文を読んだり、説明文の書き方に触れてきたりした。
 そして昨日。2度目のチャレンジである「作家の時間」がスタートした。子どもたちが書いた作品のジャンルは、ファンタジー、ノンフィクション、フィクション、詩、図鑑、絵本、めいろ(めいろだけはだめとアドバイス)など幅広かった。これまでに詩のアンソロジーづくりで詩に触れたり、絵本の読み聞かせで物語に触れたり、理科や国語科の授業で観察記録やレポートを書いたりとしてきたことが、子どもたちのジャンル選択の幅を広げてたのだろうか。特に、詩を選ぶ子たちが多くいたのは驚いた。本来、国語の教科書では、教師の特別な配慮がない限りは、詩に出会う回数は学期ごとに数回と限られている。これでは、子どもたちは自ら詩を書こうとは思わないだろう。型はめ詩での作詩や詩の視写や音読を通して、楽しみながら詩に触れてきた時間が、子どもたちを作詩に向かわせたのだと思う。中には「のみのぴこ」や「さんびきのちびおおかみ」などの絵本の翻作をする子や、「世界からねこがきえたなら」の翻作にチャレンジする子もいた。オリジナルをつくりかえる「翻作表現」に、子どもたちの書くチャレンジを大きく後押しする可能性を感じた。
 ミニレッスンについても、子どもたちの作品を読むたびに、ミニレッスンのテーマが次から次へとうかんだ。次回は「書くことリストのつくり方」その後は、主人公や登場人物の設定、はじめ・なか・おわりの基本構造など、子どもたちの作家ノートを見て、書く技術を渡していきたいと思う。(ぼくもまだまだなので勉強しながら・・)
 以上、3年前とはちがい、少し自分の中で腹落ちした感覚を得ながら始めることができた作家の時間ので話でした。(いつかAnd Onの記事で書こう)

5月の読書 

 昨年は読書家の時間に向けて、子どもたちに本を紹介できるようにひたすら児童書を読んでいた。ある程度の量を読んだときからだろうか。児童書を読むのがたまらなく好きになった。「リラックスする時間とれてる?」1on1のオンライン対話で聴かれたんだけど、今の僕にとっては「児童書を読むこと」が自体が贅沢でリラックスできる時間になっているかも。結果的に、読書家の時間にもつながる。でも実践のためというよりは、子どものときに出会えなかった名作に出会いたい。子どもたちにも、そんな本たちに出合ってほしい。本を読んでいると顔が浮かぶ子たちがいる。「あの子なら楽しんで読んでくれるかも」ってね。

 

①小学生以来の再読。長男に読み聞かせながら、一緒にハラハラしながら楽しんで、やっぱり面白い物語だったんだなと感動しました。長男がもう少し大きくなったら、もう一度読もう。

エルマーのぼうけん (世界傑作童話シリーズ)
 

②ボクは表紙で読むか否かを決めることが多い。若おかみシリーズもその一つ。こういう表紙が苦手で手にとはないことが多かった。勢いのあるストーリー展開で、あっという間に読めてしまった。真っ直ぐなおっこを応援したくなる。(年のせいか) このシリーズはもちろん、青い鳥文庫ももう少しそろえていこう。

宮川ひろさんのかんぱいシリーズ。文字も大きく、読書が苦手な子も読みやすいのでは。けんか、わすれもの、うそ、しっぱいなど、子どものときに一度は誰もが向き合うであろうことがテーマとして描かれている。早速勧めたい子の顔が浮かんできた。

わすれんぼうに かんぱい! (かんぱい! シリーズ)

わすれんぼうに かんぱい! (かんぱい! シリーズ)

  • 作者:宮川 ひろ
  • 発売日: 2011/05/20
  • メディア: 単行本
 

④海外の作家さんの本も。教科書のおすすめ本欄で紹介されていた。ヒキガエルを食べようとするミミズクの変化にうるっとくる。何冊か読み切る経験を経た子に紹介したいかな。

⑤ほらふき男爵は少し読みにくかった。なぜか斎藤洋さんの本が苦手だ。ルドルフとイッパイアッテナも読み切るのに苦労した。なぜだろう。この本は短編もので構成されている。星新一が好きな子は読みやすいかな。

ほらふき男爵の大旅行

ほらふき男爵の大旅行

  • 作者:斉藤 洋
  • 発売日: 2008/04/01
  • メディア: 単行本
 

⑥読みやすかった。心臓の音がしないと、生きていると言えないのか。自分たちが「生きてるしるし」のないことに寂しい気持ちになってくる保健室のみんな。赤ちゃん人形がみつけた「生きてるしるし」に「なるほどな〜」となります。ボクたち人間にもあてはまる、うんうん。

保健室の日曜日 (わくわくライブラリー)

保健室の日曜日 (わくわくライブラリー)

 

⑦その他に読んだ本

くまの子ウーフ (くまの子ウーフの童話集)

くまの子ウーフ (くまの子ウーフの童話集)

  • 作者:神沢 利子
  • 発売日: 2001/09/01
  • メディア: 単行本
 

教科書が東書ということや高学年担任だけしか経験してこなかったこともあり、ご縁がなかった白いぼうし。物語のしかけがたくさんあって楽しく読める。

 

 看護休暇に読み聞かせ。各所にユーモアたっぷりのクイズがあって面白かった。子どもたちが急接近するので、この時期にはあまりおすすめできない・・・。

しょうがっこうへ いこう (講談社の創作絵本)

しょうがっこうへ いこう (講談社の創作絵本)

 

 

3分間だけ書き出しを読んで面白いと感じた本。名付けて「ワクワク3分間リレー」

ふしぎ駄菓子屋銭天堂

ふしぎ駄菓子屋銭天堂

 

 なぞなぞ詩をつくるミニレッスンで紹介。明日はなぞなぞ詩をつくる子たちを募ろうと思う。授業じゃなくて、言葉で遊ぶため。

 





 

 

 



 

書きたいことを見つけに行こう

 

授業づくりネットワークNo.32―学び手中心の授業の始め方

授業づくりネットワークNo.32―学び手中心の授業の始め方

  • 発売日: 2019/04/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

  前回のエントリーで、授業づくりネットワークの澤田さんの記事が、詩を読むきっかけとなったことをお話しました。実はこの本を手に取った前年度は初めてチャレンジした作家の時間で大失敗した年でした・・。「やってみないとわからない!」と始めた勢いは良かったものの、書きたいことに夢中になる子がいる一方で、「書きたいことが見つからない」と手が止まる子たちのフォローがうまくできなかったのです。「どうすれば、書きたいことが見つかるんだろう」そんな気持ちを抱えたまま、次第に作家の時間は「書きたいことを書く時間」ではなく、「書くことが見つからないのに、好きなことを書いていいよ」と言われる時間へと変わっていってしまいました。

 

どうすれば「書きたいことを書きたいように書く書き手」を育てることができるのでしょうか。香月正登は「子どもの論理で創る 国語の授業」で、子どもたちの書きたい想いと書ける見通しがあることが、書くことの学習指導においてカギとなると述べ、田中宏幸(2013※)の論を引用しつつ、次のように述べています。

 

書くこと(作文)の学習指導における実践上の課題は、「表現内容(想)の発見」と「表現形式(形)の習得」とをいかに統合していくかというところにある。学習者は、書く内容を見つけることができ、書き方に見通しが持てるようになると、表現意欲を高め、進んで書くようになる。
書きたいと思いと書ける見通し。子どもたちの内面にしっかり根付かせていくことができれば、今、生きているこの世界の見え方もより鮮やかに、変化に富んだものに見えてくるだろう。

 書く内容を見つける「題材集め」は、作家の時間でも重要とされている部分です。ぼくだって書きたいことがあって、今こうしてブログを書いています。書きたいことが見つからないのに書けるわけがありません。では、どうすれば書きたいことは見つかるのでしょうか。香月はその難しさを「生活実感の壁」と題して、こう述べています。


日記や行事作文は、その代表的な例であろう。生活の中で起こった出来事をありのままに、かつ、いきいきと語ることが求められる。しかし、生活文という独立した文章のジャンルはそもそも成立しない。私たちが書く文種は、すべて生活をベースにしているからである。 記録文、手紙文、案内状、報告文など然り、物語文という虚構の世界とて、生活と切り離された作品など考えられない。どこかで何かがつながっている。そういう意味ではすべてが生活であり、そこから目的や相手、状況によって、文章の表現形式が変化するだけである。やはり、書くことの基底には、「生活」があり、そこから生み出されてきた言葉こそが「自分の言葉」というのにふさわしい。

 どんな書き物も「生活」とは切り離すことはできないとした上で、香月はさらに生活実感そのものが希薄になりつつあると指摘します。
 

 では、それだけの生活時間が子どもたちの中に備わっているかといえば、生活時間そのものが年々希薄になっているのが現実だろう。地域の行事に参加する、自然とたわむれる、生活の苦労を味わう、そういった体験の不足が言われて久しい。社会が発展する一方で、人間としての感覚を失っているとすれば皮肉なものである。(略)
 こうした壁に向き合うためにも、日々の小さな体験(生活)の中に、新たな発見を見出し、生活実感を湧かせ、書くこと、書きたいことを内在化していく指導にもっと注力していってはどうだろうか。今日の朝顔さんに一言、徒競走第1コーナーのつぶやき、今日の一句など、生活感覚を掘り起こすことで知らない自分と出会うこともできる。書くことがなければ、書くことを見つけに行こう!

 家庭の状況や地域によって差が生まれてしまう日々の体験の中に、新たな発見を見出し、書くこと、書きたいことを内在化していく指導を意図的に組んでいくこと。書くことがなければ、書くことを見つけに行こう!という言葉がとても心強い。個人的には、詩の学習を通して、まず「言葉で遊んでみる」体験を積むことが大切じゃないかと考えている。まずは書くことを、作詩を楽しんでみること。アトウェルが言うように、書くサイクルを回しやすい詩の利点を生かしつつ、作品を創り出す楽しみを実感できるようにしていきたい。そのプロセスから、新たな発見を見出していけるように、それが徐々に生活感覚を掘り起こすきっかけとなるように。

 

詩集を手にとるようになりました

 昨年から詩集を読むようになりました。最初に手にとった本は工藤直子さんの「のはらうた」のはらの住人になりきって広がる詩の世界は、読むたびにくすっと笑えて、心がぽっと温まる感じ。模擬授業講座で、ある講師がのネタとして紹介していた「おれはかまきり」しか知らなかったボクは、すっかり「のはらうた」のファンになりました。好きな詩をいつくか紹介します。

のはらうた (1)

のはらうた (1)

 

 

うみへ

    おがわはやと

ぼくは

いつか きっと

うみを

くすぐってやる

 この詩が書かれている隣のページには、山から海へと流れていくおがわの絵が描かれています。「くすぐってやる」この一言から、おがわのいたずら心が感じられますし、おがわとうみの関係をぐっと縮める効果もあります。

うみよ(よびかけのうた) 

 わたぐもまさる

 

さやさやと かぜのゆくみち

ふわふわと たびをつづけて

みおろせば いちめんのあお

あたたかい うみのふところ

 

やわらかく うたいつづけて

かぎりなく ゆれるすがたよ

みおろせば はるかなるうみ

あのうみは ぼくのふるさと

 「なるほど。わたぐもにとって、うみはふるさとか」こんな調子で付箋をぺたぺたしながら読んでいました。さらに、この詩にはうみからのお返事があるんです。

わたぐもよ(おへんじのうた)

        うみひろみ

ひろびろと ひのでひのいり

ゆるゆると なみをゆすらせ

みあげれば まぶしいそらに

ほほえんで わたぐもひとり

 

おおらかに おどりつづけて

どこまでも はしりつづける

みあげれば いつもわたぐも

わたぐもは わたしのこころ

 

  さて、ぼくが詩を読み始めたのは、卯月さんの教室に広がる詩の世界とナンシーアトウェルのインザミドルを読んだことがきっかけでした。

 卯月さんの本は、授業づくりネットワーク№32「学び手中心の授業の始め方」「ライティング・ワークショップの授業開き(澤田英輔さん)で実践の参考文献として紹介されていました。

授業づくりネットワークNo.32―学び手中心の授業の始め方

授業づくりネットワークNo.32―学び手中心の授業の始め方

  • 発売日: 2019/04/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

教室に広がる詩の世界

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 卯月さんの実践は、子どもたちにたくさん詩を紹介し、子どもたちにとって詩を身近なものにする。その中から自分のお気に入りの詩を視写し、アンソロジーにしたり、好きな詩を真似して翻作したりという素敵な実践です。アトウェルはライティング・ワークショップで書くジャンルを詩でスタートさせるほど、詩を重視している実践者です。アトウェルはその理由を次のように述べています。

第一に、詩には様々な言語技術がコンパクトな形で詰め込まれていて、書く技術を教えるには最適であること。第二に詩は短いので、最初の一ヶ月で2~3つ書けること。したがって、すぐに改善できて、動機づけにもなること。

 詩の素人であるボクには、子どもたちに詩の言語技術を語れるほどの力量はまだありません。まだまだ勉強不足。ただ、アトウェルの言うように、詩の短さが書くハードルを下げたり、すぐ改善して書いていくことができたりと、教えてや書き手にとってのメリットがあることも分かります。作家の書くサイクルも短時間で回していけそうです。

 卯月さんの本で紹介されていた児童詩を読むたびに、「詩は究極の言葉遊びだ」と感じるようになりました。詩の定義は人によって異なりますが、絶対の正解があるわけではない。見たこと、感じたこと、考えたことを短い言葉で表現していく。そこに比喩や擬人法、リフレイン、韻を踏む、体言止め、対比、オノマトペなど様々な技法を駆使することで、さらに魅力的な詩ができる。とても自由でアレンジの幅も広い。「遊び」って言葉がぴったりだなと。そんな魅力を感じながら、いろんな詩人の詩集をたくさん読んでいます。

 

最後に、谷川俊太郎さんの「ぼくは、ぼく」

 

ぼくは ぼく

ぼくは ぼく

  • 発売日: 2013/01/30
  • メディア: 単行本
 

 

かけっこ

 

いっとうの あじが バナナなら

びりの あじは にんじんか

ところで ぼくは にんじん だいすき

なまで ぼりぼり かじっちゃう

 

いっとうの きもちが はれならば

びりの きもちは くもりぞら

ところで ぼくは くもりが だいすき

まぶしいと みえない ものが よく みえる

いっとうとびりの対比。

びりの立場にしか分からないこと(価値)があることを

ユーモアたっぷりに示してくれている。この詩が好き。