kenny0808’s diary

小学校教員の日記。作文・読書教育。つくり手になる学びを探究する。

詩集を手にとるようになりました

 昨年から詩集を読むようになりました。最初に手にとった本は工藤直子さんの「のはらうた」のはらの住人になりきって広がる詩の世界は、読むたびにくすっと笑えて、心がぽっと温まる感じ。模擬授業講座で、ある講師がのネタとして紹介していた「おれはかまきり」しか知らなかったボクは、すっかり「のはらうた」のファンになりました。好きな詩をいつくか紹介します。

のはらうた (1)

のはらうた (1)

 

 

うみへ

    おがわはやと

ぼくは

いつか きっと

うみを

くすぐってやる

 この詩が書かれている隣のページには、山から海へと流れていくおがわの絵が描かれています。「くすぐってやる」この一言から、おがわのいたずら心が感じられますし、おがわとうみの関係をぐっと縮める効果もあります。

うみよ(よびかけのうた) 

 わたぐもまさる

 

さやさやと かぜのゆくみち

ふわふわと たびをつづけて

みおろせば いちめんのあお

あたたかい うみのふところ

 

やわらかく うたいつづけて

かぎりなく ゆれるすがたよ

みおろせば はるかなるうみ

あのうみは ぼくのふるさと

 「なるほど。わたぐもにとって、うみはふるさとか」こんな調子で付箋をぺたぺたしながら読んでいました。さらに、この詩にはうみからのお返事があるんです。

わたぐもよ(おへんじのうた)

        うみひろみ

ひろびろと ひのでひのいり

ゆるゆると なみをゆすらせ

みあげれば まぶしいそらに

ほほえんで わたぐもひとり

 

おおらかに おどりつづけて

どこまでも はしりつづける

みあげれば いつもわたぐも

わたぐもは わたしのこころ

 

  さて、ぼくが詩を読み始めたのは、卯月さんの教室に広がる詩の世界とナンシーアトウェルのインザミドルを読んだことがきっかけでした。

 卯月さんの本は、授業づくりネットワーク№32「学び手中心の授業の始め方」「ライティング・ワークショップの授業開き(澤田英輔さん)で実践の参考文献として紹介されていました。

授業づくりネットワークNo.32―学び手中心の授業の始め方

授業づくりネットワークNo.32―学び手中心の授業の始め方

  • 発売日: 2019/04/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

教室に広がる詩の世界

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 卯月さんの実践は、子どもたちにたくさん詩を紹介し、子どもたちにとって詩を身近なものにする。その中から自分のお気に入りの詩を視写し、アンソロジーにしたり、好きな詩を真似して翻作したりという素敵な実践です。アトウェルはライティング・ワークショップで書くジャンルを詩でスタートさせるほど、詩を重視している実践者です。アトウェルはその理由を次のように述べています。

第一に、詩には様々な言語技術がコンパクトな形で詰め込まれていて、書く技術を教えるには最適であること。第二に詩は短いので、最初の一ヶ月で2~3つ書けること。したがって、すぐに改善できて、動機づけにもなること。

 詩の素人であるボクには、子どもたちに詩の言語技術を語れるほどの力量はまだありません。まだまだ勉強不足。ただ、アトウェルの言うように、詩の短さが書くハードルを下げたり、すぐ改善して書いていくことができたりと、教えてや書き手にとってのメリットがあることも分かります。作家の書くサイクルも短時間で回していけそうです。

 卯月さんの本で紹介されていた児童詩を読むたびに、「詩は究極の言葉遊びだ」と感じるようになりました。詩の定義は人によって異なりますが、絶対の正解があるわけではない。見たこと、感じたこと、考えたことを短い言葉で表現していく。そこに比喩や擬人法、リフレイン、韻を踏む、体言止め、対比、オノマトペなど様々な技法を駆使することで、さらに魅力的な詩ができる。とても自由でアレンジの幅も広い。「遊び」って言葉がぴったりだなと。そんな魅力を感じながら、いろんな詩人の詩集をたくさん読んでいます。

 

最後に、谷川俊太郎さんの「ぼくは、ぼく」

 

ぼくは ぼく

ぼくは ぼく

  • 発売日: 2013/01/30
  • メディア: 単行本
 

 

かけっこ

 

いっとうの あじが バナナなら

びりの あじは にんじんか

ところで ぼくは にんじん だいすき

なまで ぼりぼり かじっちゃう

 

いっとうの きもちが はれならば

びりの きもちは くもりぞら

ところで ぼくは くもりが だいすき

まぶしいと みえない ものが よく みえる

いっとうとびりの対比。

びりの立場にしか分からないこと(価値)があることを

ユーモアたっぷりに示してくれている。この詩が好き。