kenny0808’s diary

小学校教員の日記。作文・読書教育。つくり手になる学びを探究する。

作家の時間と詩と翻作表現

『作家の時間』
 「書くことが好きになる」「自立した書き手を育てる」が第一の目的ではなく、自己選択・自己決定にもとづいた書くプロセスの積み重ねで子どもたちをケアしていけるのでないか。そんな思いから、作家の時間をスタートさせた。(昨日のことである。)
 3年前、はじめて作家の時間を始めた6年生の冬。やってみたいでチャレンジした実践は、書くことがおもいつかない子たちのサポートがままならず、途中でフェイドアウト。「書きたいことを書く」って思ってたより、というか実はすごい難しいことなんだ。大人もそう。いきなり書きたいことを書いていいよ。と言われて、みんながみんな書けるわけではない。はじめに子どもたちに見せた作品の中身も、ミニレッスンも中途半端。「書きたいことをまずは考えてみよう」というアプローチもないまま、「まずはやってみよう」という丸投げインストラクション。今思えば、あまりに準備不足だったなと思う。準備万端ってそうできないけど)でもやってみて分かることがあったのも事実。この出来事は、And On vol.5の「ぽい実践からのスタート~作家の時間の失敗」に詳しく書いた。

 ナンシー・アトウェルのインザミドルを読んでから、「詩」に興味を持つようになった。

短い言葉で構成される詩は、他のジャンルに比べ比較的短時間でくつくることができ、出版までのサイクルが回しやすい。作詩を通して、子どもたちが作品をつくりあげる小さな成功体験をつむプロセスを経てから、作家の時間(ジャンルを自由に選ぶ)に移行する流れがイメージできた。昨年は実験的に作詩から国語の時間をスタートさせた。

 参考にした本は、石毛拓郎さんの『詩をつくろう』学校図書館で偶然出会った一冊だ。この本には、自由詩を書くまでのステップが丁寧に記されており、自由詩にいたるまでのウォーミングアップとして様々な型はめ詩(アクロスティック、なぞなぞなど)が紹介されている。子どもたちが手にとって読んでもわかる内容で、子どもたちむけの詩の本といえる。(型はめ詩の取り組みについてもAnd Onに書いている)
 今年は分散登校からこれまでにわたり、詩の音読や視写に取り組んできた。参考にしているのは卯月啓子さんの詩のアンソロジーの実践。工藤直子さんやまどみちおさん、谷川俊太郎さんなど、一流の詩人たちの詩を背面黒板に書き、詩のノートに書き写してきた。ときには題名をあてたり、詩の一部を書き換えて翻作表現を楽しんだりした。特に「たいようのおなら」は、子どもたちが大変おもしろがり、「かなせんがわらった」「ひがおこった」「とんだ野球ボール」と次々の翻作表現の作品ができあがった。こんな感じで、これまでの一ヶ月は、朝の時間をつかって詩に触れ、それと並行して、国語科で説明文を読んだり、説明文の書き方に触れてきたりした。
 そして昨日。2度目のチャレンジである「作家の時間」がスタートした。子どもたちが書いた作品のジャンルは、ファンタジー、ノンフィクション、フィクション、詩、図鑑、絵本、めいろ(めいろだけはだめとアドバイス)など幅広かった。これまでに詩のアンソロジーづくりで詩に触れたり、絵本の読み聞かせで物語に触れたり、理科や国語科の授業で観察記録やレポートを書いたりとしてきたことが、子どもたちのジャンル選択の幅を広げてたのだろうか。特に、詩を選ぶ子たちが多くいたのは驚いた。本来、国語の教科書では、教師の特別な配慮がない限りは、詩に出会う回数は学期ごとに数回と限られている。これでは、子どもたちは自ら詩を書こうとは思わないだろう。型はめ詩での作詩や詩の視写や音読を通して、楽しみながら詩に触れてきた時間が、子どもたちを作詩に向かわせたのだと思う。中には「のみのぴこ」や「さんびきのちびおおかみ」などの絵本の翻作をする子や、「世界からねこがきえたなら」の翻作にチャレンジする子もいた。オリジナルをつくりかえる「翻作表現」に、子どもたちの書くチャレンジを大きく後押しする可能性を感じた。
 ミニレッスンについても、子どもたちの作品を読むたびに、ミニレッスンのテーマが次から次へとうかんだ。次回は「書くことリストのつくり方」その後は、主人公や登場人物の設定、はじめ・なか・おわりの基本構造など、子どもたちの作家ノートを見て、書く技術を渡していきたいと思う。(ぼくもまだまだなので勉強しながら・・)
 以上、3年前とはちがい、少し自分の中で腹落ちした感覚を得ながら始めることができた作家の時間ので話でした。(いつかAnd Onの記事で書こう)